ネロリを流行させた女性アンナ・マリア
ネロリの歴史は17世紀フランスから始まります。当時のパリ社交界では、女性たちは華やかな装いを身に着けていましたが、その中で流行したのがなめし革の手袋です。しかしこの手袋に問題がありました。今でもなめし革の製品は臭うものもありますが、当時は今よりも加工技術が進んでいないため、さらに強烈な臭いを放っていたのでしょう。手袋をはずした後も臭うほどで、女性たちの大きな悩みでした。
それを解決したのが、花やハーブから抽出した精油から作られた香水です。16世紀~18世紀のイタリア、フランスでは産業発展の政策として香水産業に力を入れていました。この香水で革手袋のニオイを消そうと貴族女性たちはこぞって手袋に振りかけたそうです。
そんな中、イタリアのネロラ公国(今のローマ郊外)公妃アンナ・マリアがパリ社交界で革手袋にネロリで香りづけを行ったところ、その香りの良さから瞬く間にネロリの香水が流行しました。アンナ・マリアの愛称が「ラ・ネロリ」であったことからネロリの香水と呼ばれるようになったそうです。
アンナ・マリアのネロリの香水は、愛する妻へのおくりものだった
パリ社交界でネロリを流行らせたアンナ・マリア。彼女にネロリの香水をプレゼントしたのは夫であるドン・フラヴィオ・オルシニ公です。元々アンナ・マリアはパリ貴族でしたが、オルシニ公との結婚でフランスを離れてイタリアのオルシニ領に移り住みます。そのオルシニ領では、ネロリの原料であるビターオレンジの花が多く咲き誇っていました。今でもオルシニ城(ネロラ城)は存在していますが、オレンジの花は枯れてしまったようです。
そんな環境でアンナ・マリアは暮らしていましたが、夫であるオルシニ公は領土争いや政治にはあまり関心がなく、科学研究にもっぱら探求心を寄せていました。その過程でネロリの生成に没頭し、妻のアンナ・マリアへネロリの香水を贈り物としたと伝わっています。故郷を遠く離れた愛する妻を慰めるための贈り物だったのかもしれません。