魏志倭人伝に日本のミカンの歴史が載っていた
柑橘類といえば日本で1番生産量が多いのがミカンです。当社でも成熟前のミカンである青ミカンや橙(だいだい)をコスメやスキンケアなど色々な製品へと加工しています。
そんなミカンですが、昔から日本ではミカンの原型ともいうべき原種が自生していたそうです。実がなってはいましたが食用としてはおらず、その美味しさを残念ながら日本人は知らなかったとの記述が、中国の魏の時代を書いた歴史書「魏志倭人伝」にありました。
魏王朝の時代は220~265年まで続いたので、その間の話のようです。景初2年との記述が出てきますから、西暦238年ぐらいではないかと思います。かなり前からミカンは日本にあったのですね。
日本書記にもみかんの記述があった
その遥か昔の出来事、神話の時代の書物にもミカンの記述がありました。日本古来の神話や伝承をおさめた歴史書、古事記や日本書記によると、第十一代天皇である垂仁(すいにん)天皇の命をうけて、田道間守(たじまもり)が不老不死の霊菓を探す旅に出ます。
このとき、無事に常世(とこよ)の国から持ち帰ることができたのが、非時香菓(ときじくのかくのみ)と呼ばれる果実でした。この果実がミカンの原種とされています。記紀神話は神代の話を収めていますが、古事記が編纂されたのが、712年。日本書紀が編纂されたのが720年ですから、魏志倭人伝よりも後の時代に作られたお話になります。
万葉集で見るミカン
7世紀後半から8世紀に成立した万葉集にも、ミカンの和歌がたくさん収められています。万葉集とは、古くから詠まれ続けてきた全国各地の歌を4500首、20巻にまとめあげた日本最古の歌集です。多くの編纂者によって和歌が選ばれ、その中の1人である歌人・貴族の大伴家持もミカンの歌を呼んでいます。
ミカンは古代では「橘(たちばな)」といわれており、実よりも花の様子を詠んだ歌がほとんどでした。魏志倭人伝でいわれた通り、実が食用だとは知らなかったようです。橘の歌は万葉集では69首収められています。