ビターオレンジの起源
当社で栽培している橙ですが、ヨーロッパの方ではビターオレンジの名で親しまれています。品種的には伝来された時期やルート、品種改良などにより少し違うのですが、日本での橙がビターオレンジのようなものと思ってください。
このビターオレンジですが、橙と同様に通常のミカンと違い酸味が強く、皮が分厚いのが特徴です。甘いミカンのことをヨーロッパではスイートオレンジと呼んでいます。このビターオレンジとスイートオレンジはヨーロッパへの伝来時期やルートが異なります。
ビターオレンジの起源は3000万年前にさかのぼります。当時、アジアやオーストラリア大陸と陸続きだったマレー半島(アジア大陸の最南端にある)で最古の柑橘類が誕生しました。マレー半島は北西の一部分がミャンマーにあたり、中央と北東部分の一部分がタイにあたります。
その後、オレンジはインドや中国に運ばれています。中国には約2千年前にビターオレンジを栽培していた記録が残っており、インドでも古代医学書であるアーユルヴェーダに薬草として掲載されています。中国以外のアジアではオレンジは食料ではなく、健康のための薬でした。
アジアからヨーロッパへは、レコンキスタによりオレンジが広まった
中国で栽培されていたビターオレンジは海やシルクロードを渡り、日本に、またシリアやトルコ、アラブ諸国に実や木が広まりました。そしてその地で栽培されていったのです。アジアで広まったオレンジがヨーロッパに伝来したのは戦争によるものでした。
710年のヨーロッパ大陸の南西部のイベリア半島(スペインとポルトガルの領土)におけるイスラム教の侵略、1096年から1270年までに行われた7回に渡るキリスト教徒による十字軍遠征。これらのイスラム教とキリスト教のレコンキスタ(国土回復運動)により、オレンジがイタリアのシチリア島や地中海沿岸にもたらされました。
ヨーロッパへと輸入されたオレンジはジャムとして使用されました。最初の内は王侯貴族しか食べられないほど高価で貴重なものだったので、庶民が口にできたのは19世紀以降といわれています。